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私はある本の中でリム・カーワイは故ヤスミン・アフマドの衣鉢を継ぐような存在になってきたと書いたことがあるが、『いつか、どこかで』を観てその思いをいっそう強くした。2年前に交通事故で恋人を亡くし、遺品の壊れたスマホを寄贈した美術館への訪問を嚆矢としてヒロインの旅が始まる本作は、まるで『細い目(Sepet)』のラストを受け継いだ後日談のようにもみえる。しかしリムはリムである。ヒロインが気持ち良さそうに海や滝壺に浮かぶ場面がラストショットに至るまで再三登場するように、全篇にリムの専売特許たる「漂流」の世界が広がっている。ボスニア紛争の痕跡が残る異国の地を歩き泳ぎ流離うことで、傷心だったヒロインはついに性別も年齢も越えた地点で「愛」を手に入れてよみがえるのだ。

石坂健治(映画研究)


リム・カーワイの世界ではつねに水が流れている。

横にたゆたう川面や海流は人が繋がる契機を示し、

縦に落下する滝は人が断絶する瞬間を示す。

いま、コロナウイルスという滝に打たれている地球で、リム・カーワイは、

いつか、どこかで人間が繋がるための静かな水面を写し続けている。

田中泰延(作家)